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ハマオカ衣料品店のファミリーヒストリー(前編)

Hamaoka Pocket Park (ハマオカポケットパーク)は衣料品店ハマオカの跡地に建設されました。

生前の祖父母や、二人の長女である母から聞いた衣料品店ハマオカの歴史をご紹介すると共にかつての湯之元の話をご紹介できればと思います。(筆 小平勘太)

衣料品店ハマオカは祖父壽(ひさし)と祖母チエ子(“エ”は旧字体)の2人によって設立されました。

写真左の壽は元々いちき串木野市大原町の出身。父親は国鉄職員、母親は大原町の交差点で亀屋という和菓子屋をやっていたそうです。近所のガキ大将で亀屋の餡子を盗んで子分と食べる腕白な子供だったそう。ただ、戦時中に父親が鹿児島駅の空襲で他界した事で運命が変わり、兄妹を養うために働き始めます。

写真右のチエ子は大阪の出身。父親は外航船の船長、母親は指宿の出身でお金持ちだったそう。親戚に通天閣の株主がいると言っていて冗談かと株主名簿を調べたら本当にその人がいて驚いたことあります。六甲山のゴルフ場で誕生会をしたそうでお嬢様として育ったよう。そのおっとりしたお嬢様気質は死ぬまで変わりませんでした。母親が関西での生活に慣れることができず離婚、その後、鹿児島で壽と出会い昭和28年に結婚しました。

様々な職種を渡り歩いた壽ですが、資金を貯め、今の東市来町 田の湯のあたりに浜岡糸店を出店します。その後、同じく田の湯に少し大きい店舗に移転を挟み、最終的に現在の湯田元湯付近にハマオカ衣料品店を建設することとなります。

写真は建設中の様子。後ろにミカドストアの看板が見えます。費用は前述した和菓子屋の曽祖母が持っていた今の串木野のプリマハムの隣の土地(コーアガスのある場所)を売却した費用で建設したそうです(ちなみにその土地は後に私の父方の祖父の土地になるという縁もあります)。

そして2人の念願がかない、昭和44年にハマオカ衣料品店がオープンします。

しかし店舗は出来たものの狩りに魚釣りに飲み会にと商売はほったらかしにして遊びまくる壽(写真は愛車のバイク)。

お嬢様育ちのチエ子は慣れない商売に苦難の日々を迎えます。店のピンチを救ったのは真田紐とヤンキー服でした。

後編に続く

<昔の湯之元の写真>

紅白歌手の三沢あけみや王将の村田英雄のコンサートの写真。昭和43年との記載がありました。

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