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ハマオカ衣料品店のファミリーヒストリー(後編)

(前編のあらすじ) 祖父 壽(ひさし)と祖母チエ子は昭和44年に念願の大きな衣料品店を建築することが出来ました。が、遊んでばかりの壽。経営どうなる? (筆 小平勘太)

前編はこちら

私が祖父の壽のことを思い出すたびに、彼があまり仕事している様子は思い浮かびません。一緒に養母地区の山に行って鳥の罠を仕掛けたり、竹の子を掘ったり、海に行ったり、畑にスイカを取りに行ったりした思い出ばかりです。テレビを湯之元で一番早く買ったとか、江口浜で一番早い船を持っていた、というような今では真偽不明な彼の自慢話も思い出します。若い頃には自慢のバイクで走り回り、猟犬を沢山飼っていて国体出場(自称)のクレー射撃の腕を生かして楽しんでいたようです。

また昔の写真を今回引っ張り出すと。祖父の飲み会の写真ばかりたくさん見つかりました。おそらく前のグループ左の白髪まじりの男性が祖父だと思うのですが、奥の舞台には「絶叫大会」の文字が。この頃の湯之元には楽しい飲み会が沢山あったんでしょうね。

私にとっては遊んでくれる最高の祖父でしたが、働かない旦那を持った祖母はなかなか大変だったようです。晩年、鹿児島市の老人ホームに入った頃にいろいろな話を聞いたのですが、仕入れも店員の管理もお金の管理も全て彼女の仕事だったそうです(稼いだお金を使うのが祖父の仕事)。

当時の衣料品店のヒット商品はまずは「真田紐を使ったフンドシ」(真田紐はアニメ映画「君の名は」で出てきたあれです)。その高級品をフンドシに使ったことが粋なおじさん達の評判を呼びヒットしたそうです。

もう一つは祖母が大阪や京都から直接仕入れてくるお洒落な婦人服でした。お嬢様育ちで現代的なセンスを持つ祖母の選ぶ洋服は当時の奥様方の心を掴み、当時の湯之元のモード界は「ハマオカ派」と「みやうちデパート派」で二分されていたそうです。

その後、祖父の弟で真面目な俊夫おじさん(写真)も入社。経営も安定していきました。

ちなみに平成に入ってからのヒット商品はヤンキー向けの商品でした。今の40-50代の方にはハマオカと言えば虎の刺繍の入った財布やタンランなどが思い出されるのではないかと思います。祖父のチョイスだと思いますので、彼の多趣味も最後には商売に役に立ったんじゃないかと思います。

そんな祖父も10年以上前に他界、写真の祖母も昨年天寿を全ういたしました。

祖母は晩年「おじいちゃんは遊び人だったので地獄に行ってるだろうけど、私が行く頃にはそろそろ天国に上がってきてもらっても良いよ」と笑ってました。

お嬢様育ちだった祖母も鍛えられてタフな女性になったようです。

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